〜追悼(名犬?迷犬?盟犬?)紋次郎B〜


平成十七年一月十一日未明。
紋次郎が静かに逝ってしまいました・・・・・・・。

しかし、まったくもって紋次郎という奴は幸せな奴だったと思います。
その死に、遠く離れたところからでも生前は体調の心配、没後は回想と励ましのメールを送ってくれる
人がたくさんいるほど皆に愛されていたのですから・・・・・。

なかでも、嫁さんがスーパーにて買い物をしていたら 梨のお客さん
「紋ちゃん、どうですか?元気にしてますか?」と声をかけられ、
「残念ながら数日前に逝ってしまいました。」と答えるとその方は
「そうですか・・・・・・・・、子供も私も また紋ちゃんに会うのを楽しみにしていたんですけどね・・・・・。」と
その場で涙ぐまれて次の言葉を失われたそうなのです・・・・。
スーパーの真ん中で泣きながら二人でおじぎをしあう姿は傍から見れば変かもしれません。
他にもお客様、友人知人、近所の方、親戚など彼に関わったことのある皆さんが涙ぐんだり、ガックリと
肩を落としたりと落胆されるのです。
もし園主の私が死んでもたぶんその方々は泣かないんだろうなと思うと、軽い嫉妬を覚えるほど彼は
幸せだなとおもいます。
 
最近、そこにいるはずの彼がいないことにやっと慣れてきました。
というより、あれからまだ3ヶ月余りしかたっていないのに、なぜかもうずいぶん昔のことのように思える
のです。
そして、紋次郎がいてくれたから今の家庭があるのだな〜とさえ思えてきました。
嫁さんとの結婚もいろいろと彼のおかげでした。
また、子供が生まれるまでの間を彼が 子、孫代わりになって嫁と姑の隙間を埋めてくれました。
娘が生まれて弟達が生まれるまでの間、彼が娘にとって良き兄弟でした。
さらに、梶原果樹園の最高の”看板犬”として大活躍してくれました。
そして最後に、彼はその死をもってして大切な教育を 娘にしてくれました。
それは金魚や小鳥等が死んでも「また買えばいいやん」とか、子供向け番組の影響からか「死んでもま
た生き返るんだよ」とか、涼しい顔で言い放つ娘にとってなにより大切な教育でした。
その日、幼稚園を休ませてその骸に付き添わせ火葬場まで連れて行き、全てを見とどけさせたので
す。
涙をその目いっぱいにためている娘に「泣いてもいいんだよ。」というと、堰を切ったように大泣きして止
まらなくなってしまいました。
「どんなに紋次郎にもう一度会いたいと思っても遊びたいと思っても、もう紋ちゃんは煙になって天国へ
行ってしまったから、もう会えないんだよ。生き返ってはこないんだよ。わかるか?・・・・」というと 
泣きながら震えながら うなずいていました。
生まれて今まで常に一緒にいた紋次郎です。さすがの娘も少しこたえていたのでしょう。5歳なりに、彼
女なりに「生と死」について感じたものがあったのかもしれません。
私が5年間どうしてもうまく伝えられなかったことを 彼がその死をもってして教えてくれたのです。
”感謝”の一言です・・・・・。
 
この冬、九州にもよく雪が降りました。
彼はそのDNAが騒ぐのでしょうか?それはそれは雪が大好きでした。
雪のたびに「あ〜紋次郎が生きてたら喜んだろうにね〜」と、母や嫁さんがつぶやいていました。
でも娘は「この雪はね、紋ちゃんが天国から@@の為に降らせてるんだよ。他の人には神様が降らせ
てるけど、@@には紋ちゃんががんばって降らせてるから @@の周りはいっぱい雪が降るんだよ!
だって@@と紋ちゃん、雪で遊んだことあるもん!」といっていました。
「そうか、じゃーまたこの雪でいっしょにあそぼって言ってるのかな?」というと
「うん!」と、彼女はとてもうれしそうに笑いました。
そういえば最近、娘は「紋ちゃんがね〜」とよく口にするようになりました。
何か良い事があるとそれはすべて”紋ちゃんのおかげ”だそうです。
この先大人になってもそのまま、その記憶の中に"紋次郎”が残ってくれればと、セツに願います。

あの日の数日後、あまりにショックを受けてる私を見かねて嫁さんがオレンジレンジの「花」をラジオに
リクエストしてくれました。
その時は仕事の途中にもかかわらず、"いなかっぺ大将のだいちゃん”なみに泣いてしまいました。
そしてもう一つ、友人に教えてもらった”虹の橋”という詩です。
これも涙腺を破壊されて、ワイパーの効かない豪雨の中のフロントガラスようにパソコンの画面が見え
ませんでした。
いまでもその詩達には涙腺の水圧をレッドゾーンにさせられてしまいます・・・・・・。

例えば、最後まで童貞で逝ってしまった彼に同じ雄として・・・・・。とか生きている間にもっとあ〜してや
ればよかった、こーしてやればよかったと思えば思うほど、うちの一員で本当に幸せだったろうかと考
えたりもしました。
でも仮に、彼にとっては至らぬ飼い主に多少の不満はあったにしても、紋次郎が彼がいてくれたおがげ
で、私や家族は間違いなくとても幸せでした。
今も娘は紋次郎の話をする時、本当に嬉しそうに”まぶしいくらいの笑顔”をみせます。

そうだ、それでいいんだ。
きっとそれでいいんだ。
そういえば最近、私も娘と一緒に紋次郎のことを笑って話している・・・・。

なるほど、それでいいんだ・・・・・・。
今度は娘が私に大切なことを教えてくれた。
そんな気がする今日この頃です・・・・・・・・・・・・・・。

あー、今日あたり夢にでも出てこないかな〜。
 



花びらのように散りゆく中で
夢みたいに君に出逢えたキセキ
・・・・・・・・・・・・・・・・
生まれ変わってもあなたに逢いたい

花びらのように散ってゆく事
この世界で全て受け入れてゆこう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
だから僕は精一杯生きて花になろう



平成十七年一月十一日未明。
紋次郎が静かに逝ってしまいました・・・・・・・。

でも、そうだ・・・、精一杯生きよう!

〜追悼(名犬?迷犬?盟犬?)紋次郎〜    おわり

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