天国への宅急便


 
    
 梶原果樹園の歴史はまだ浅く、樹の樹齢と私の年齢が同じですから三十数年ほどです。
それでも、今と比べれば 設備は乏しく技術も未熟な私の幼少時代、今となっては恥ずかしいような
梨(父親談)を 祖父と父親、母親が 三池炭鉱景気に沸く大牟田や荒尾のお客さんたちに 行商を
して回っていました。
今では 果樹園の隣で生産直売、産地直送する農家も珍しくはありませんが、収穫した作物は 市
場や農協に収めるというのが一般的だったその当時、その行動は特異だったらしく、時には他生産
者から陰口や後ろ指を差されたりしたそうです。
 しかし、今の基礎となる 自分で作ったものだから自分で売るという考え方や、たくさんのお客さん
とのつながりと信頼は すべてその祖父らが築き上げたもので、それらこそが今、後を継ぐ私にとっ
ては何よりも大きな財産です。
 父親はいつも「ただここに(直売所)にいれば お客さんの方から来てもらって買ってもらえる。こん
な幸せなことはない。お客さんには一人一人感謝せなん。」と、いいます。
 私もその行商について回っていると、気のいいおばちゃん達がお菓子やアイスクリームなどを差し
入れしてくれました。とても裕福とは程遠い生活の我が家では お菓子やアイスは いつも口にでき
るものではなかったので「あーお客さんって ほんと神様なんだ」と思ってました・・・。
私のその喜びようは よっぽどだったんでしょう。私が成人しても「ほら、兄ちゃんの好きなアイスば
い。」と、差し入れてくれるおばちゃんがいます。
 祖父も今は他界し、そんな気のいいおっちゃんやおばちゃんたちも一人また一人とお悔やみ欄に
載ってしまいます。仕方の無いことなんですが・・・・。
そこで、そんな皆さんや祖父に
「じいちゃん、繁が梨園継いで こんな梨 つくったよ!」
「苦しい頃から支えてくれた神様みたいなおっちゃんおばちゃん、あのハナタレ小僧がこんな梨作っ
たよ。どうぞ食べてみて!」って 天国への宅急便。
ペリカンさん!、クロネコさん!、やっぱり無理ですかね?・・・・。
 
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